ホルモン(畜産副産物)の歴史

ホルモン(畜産副産物)の歴史
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ホルモン(畜産副産物)はいつ頃から食べられたのか

ホルモン(畜産副産物)の歴史を考えると、日本人は、いつ頃から食べていたのか、ということは最初に考えますが、実は、本当のところはわかりません。ただ、先史時代の貝塚から鹿などの骨が見つかっていますから、このころには多分ホルモン類も食べられていたでしょう。

文献では、458年に内臓を肉とともに細く切り膾として食べていたことが残っています。
膾として食べていたということは、古代日本においても既に、肉食文化が根付いていたことが想像できます。

ホルモン(畜産副産物)が禁止された時代

そうホルモンのみならず肉食が、ということになると思いますが、675年天武天皇が「殺生禁止令」をお出しになり、ここから約1200年、明治の初めまで肉食、ホルモン(畜産副産物)が表舞台からは消えてしまいます。
(肉食の禁止は、仏教伝来の後、その影響により禁止されたと言われています)

とは言うものの、完全に1200年の間、肉食がなくなるわけはなく、様々な手段?で肉食は、裏舞台で続いていきます(笑)
獣肉を「薬喰い」というのは、一番有名なお話でしょうが、イノシシ、シカ、ウサギ、クジラ等が病気回復のためと言うことで、食べられています。

そればかりか、江戸時代には、将軍様に彦根藩から寒中見舞いなどと称し、牛肉の味噌漬けなどが献上されていました。
今は、近江牛が有名な地域ですが、この時代から、牛肉には力を入れていたのですね。

そして、いよいよ明治を迎え、明治政府は、肉食禁止令を廃止するのです。

ホルモン(畜産副産物)、肉食の解禁?!

肉食が解禁され、と畜場が欧米人の居留地やその近くに開かれた。それは、肉食禁止の時代も、関係なく肉食をおこなうことができた外国人居留地に肉の供給を行いやすくするためでもあった。
(外国人の居留が初めて認められたのは、1858年で現在の函館、横浜、長崎。神戸、新潟などでした)
ちなみに、東京に初めて屠場が開設されたのは、1867年、芝白金でした、そして翌年には牛鍋屋さんも開業していたようです。

食肉問屋は、内臓専門業者には、内臓類や皮専門業者には、生皮と取引をし、と畜解体をおこなうときには、食肉問屋だけでなく内臓専門業者も作業を手伝う関係があり、その結びつきが取引の強固さにも繋がっていきました。
そして、内臓専門業者が、ホルモンを洗浄、一部は煮沸し卸売業者のような人々に売却され、その先に街の大衆酒場、屋台などに渡り、串焼き、煮込みなどのような料理で提供されたわけです。

ホルモン(畜産副産物)消費の拡大

ホルモン(畜産副産物)消費の拡大

ホルモンの消費が拡大するのは、戦争に関係した食糧難のときです。
第二次大戦中からの、お肉とともにホルモン類も貴重な食料源として、戦時統制物質となり配給の対象となります。
この配給が、皆がホルモンに触れることとにもなり、戦後の需要へとつながっていきました。

食料不足の時代は、動物性食品を求める力を増し、また、在留朝鮮半島の人たちの内臓に対する関心も強く、その力が焼肉などを生んでいきます。
そうして、ホルモン(畜産副産物)の価値が高まり、牛・豚の生産増につれ、ホルモン料理が大衆へ受け入れられていったようです。
当然ながら、ここには様々な調理法が開発され、関東の串焼き、煮込み料理、もつ料理や関西のホルモン焼、焼肉などが後押ししていったようです。

それ以後も1960年台後半の高度経済成長、輸入牛の自由化等需要の増大に伴いホルモン(畜産副産物)の消費規模も拡大していきます。
時代も様々変わるなか、関西エリアを皮切りに焼肉店が全国的に広がっていったり、博多エリアのモツ鍋等々、ホルモンが名物料理ともなり、
サラリーマンのお父さん、OLさんなどを通じて人気料理になりました。
そうして、ある意味、ホルモン(畜産副産物)の市民権は盤石のものとなった(笑)というわけです。
今では、食べたくても食べれないものもたくさんあるのですから、すごいものですね。

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