ハムの歴史

ハムの歴史
さまざまな素材

ハムのはじまりは、保存食であった

狩猟が盛んだった昔、獲物を塩漬けにすることで長く保存ができることを知ったのが、ハムの原点です。
飢えをしのぐための保存食が、そのスタートで、その後家畜として豚などを飼うようになり、そこからその豚を原料として、更に進みハムを作ったのでしょう。

古代中国では、4800年前から豚が飼育され、「鹹(ハン)」というハムらしきものが作られていたとも聞きます。
ハムの語源が、実はこの「鹹(ハン)」という説すらあるくらいです。事実は??
ただし、この当時のハムは、現代のものとはかけ離れていました、塩せきというか塩漬けと乾燥のみのいたって簡単なものであったことでしょう。

中国やヨーロッパのハム作り

中国では、10世紀の宋の時代に、金華火腿(チンホウアフオトゥエイ)というハムが生まれました。
豚の足を丸ごと塩漬けにしたもので、ヒヅメもつけたままの日本人には、少しグロテスクな感じかもしれません。
戦争における偶然の産物?であったという人もいますが、切った断面が火のように赤いことから「火腿」の名がついたとも言われています。

現在でも、中国・浙江省の金華地区で生産されるハムは、日本でも金華ハムと呼ばれ名産品・高級品として有名で人気がありますが、中国では生で食べられることはほぼなく、色々な料理の素材として重宝されています。
中でも、シャンタン(上湯)などの高級スープには無くてはならないものです。

ヨーロッパでは、12・13世紀には、ほぼ全域でハムやソーセージがつくられましたが、これも家畜の有効利用・保存食・お祭りといった昔ながらの生活から作り出されたものといって良いでしょう。

秋になると、飼っていた豚をと畜し、あますことなく使います。肉はハムに、内臓や血液、切れ端のお肉などはソーセージに変わります。
蹄以外は捨てるところがないように使われ、できたらみんなでお祭り騒ぎ、ヨーロッパの農家の一年の大切な行事でしょうが、世界どこでも農家の年中行事として見られる光景ですね。

日本でのハム作り

日本での歴史は浅く、最初は長崎だったようです。明治5年にはハムがつくられ、明治天皇が長崎に巡幸した折に自家製ハムを献上したと伝えられています。
その後、明治6年に札幌、明治7年に鎌倉でも製造されるようになりました。
昭和初期くらいまでは、日本でハムは超高級品でした。大正10年ぐらいの物価では、ハム1本と米一俵は同等、公務員の初任給の約1/3ほどであったそうです。

ハムとは豚のもも肉を意味する英語ですが、ヨーロッパでの伝統的なハムは、骨付きのもも肉を加工したものでしたが、日本においては、もも肉にとどまらず、ロース肉や肩肉なども使ってつくられ、
違った発展の仕方をしたと言えます。

ハムが家庭で食べられるようになったわけ

ハムが家庭で食べられるようになったわけ

ハム・ソーセージの歴史の古いヨーロッパでも、各家庭で自分たちの分だけつくるのが普通で、販売するといっても、お肉屋さんが自分お店で少しおいておく程度のものでした。
工場で大量生産が行われるようになったのは、19世紀すぎのことからでしょう。

家庭で家族のために作られていたハムが、工場で作られ各家庭で食べらっるようになったのは、冷凍・冷蔵の技術が発展したためです。
この技術の発展により、保存期間が飛躍的に伸び、また運搬にも活用されるようになり、肉やハムなどが世界のいたるところで食卓に並ぶようになったわけです。

現在は、アメリカの大手食肉処理・食肉加工品製造業者であるスイフト社として世界的に有名になっていますが、その礎とも言えるのが、20世紀初頭に、G・F・スイフトが、食肉生産をオートメーション化し、
さらに肉の輸送のために冷凍貨車をつくったということがあり、こういった流れが潮流となっていったのでしょう。

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